きよみの ページ





夫の存在について考えてみようと思う。
私は彼を実のところ尊敬している部分がある。

それは独身時代の事だった。
バブル全盛期、会社が嫌で嫌で見切りを付けた時、まず住いから考え直さねばならなかった。
6畳キッチン付き、家賃2万3千円、共同トイレ、風呂なし。
住人のほとんどが男性で、唯一ひとり女性(婦人警官)がおった。
好きな絵でも描きたいと思っていた。

バイトかなんかして絵を描いて、少しづつ、自分のやりたいことをしたいと思った。
でも、全然ダメ。
まず、長いこと家にいるのもすぐに飽きたし、自分が宙ぶらりんなのが不安で、絵もほとんど描けなかったのだ。
そのうち部屋にいると座敷牢にでもいるような脅迫観念に襲われ、一体自分は何なんだろうとか
考えるようになった。
ただっぴろい荒野に一人ぼっち、右にも左にも前にも後ろにも行けるのに、何処へ行っていいか解らず、
うずくまってウジウジしているような感じ…

お金が無いのも辛かった。
予定が無いのも辛かった。

美容院に行けない、服も買えない、繁華街にも出られない、おいしいものも食べられない、
旅行にも行けない、おまけに彼(登)は貧乏であてにならない。

会社というものから解放されるつもりでいたのに、そこから抜け出したとたん ないないないのないづくし。
そんなことにめげる自分のふがいなさがあまりにも情けなかった。



そんな頃、運悪く『牡蛎』にあたってしまった。下痢と咽吐が交代でやってきて死ぬかと思った。
けど、健康保険もないので必死に耐えた。
1週間ほどもがきながら「ここで死んだら遺体と荷物は誰が処分してくれるだろう」とかしょーもないことばかり考えた。

「貧乏ってのは生やさしいもんじゃぁないな」

と思った時、彼(登)の事を思い浮かべたのだった。

つき合い始めた時、彼は所持金数百円という状態だった。
次いつ仕事があるかどうかわからないのに練習は欠かさずやっていた。
仕事をしたところでいくら入るともわからないような仕事だ。
かろうじて喫茶店のバイトで食い繋いでいるといった生活。
それでもいつも機嫌良くニコニコしている。

「そんなんで不安と違うのかぁ〜〜〜???」

貧乏に弱い自分と比べて、「負けた」と思った。



好きなことを仕事にするには相当な覚悟と努力と忍耐と度胸がないとあかんのやな。
あたしにゃとーてー無理だ。
一見、ブラブラしてて気楽そうに見えた彼(登)だが、本当はやたら強い人間だったんじゃないか???
って、妙に感心してしまい尊敬するようになった。「あんたはすごい!」



それからしばらくしてある事件がそのアパートで起こった。
暑い夏の昼下がり、共有部分の廊下に毛ムクジャラの足が、手前の部屋から伸ばされていた。

ただ、部屋が暑いから廊下に足を出して寝ていたかなんかだと思うが、
にゅーっと出た毛ムクジャラの足をまたがねば自分の部屋にたどりつけない恐怖。

それ以来そこで生活するのが恐ろしくなってしまった。
(お嬢だったのね。今なら蹴っとばしちゃうな。)




結局、4ヵ月足らずでそのアパートを引越し、
登の下宿の空き部屋に住いを移すことになった。
4畳半キッチン付き、家賃1万2千円、共同トイレ、共同風呂。
貧乏だからしかたない、と半ばヤケクソに近い心境だった。

築年数不詳、ひら屋の棟と2階立ての棟があり、間に中庭がある。
部屋に入ると、畳がふわふわしていた。


だけど、ここで知り合った人々がまたまたすごかったのだ。
イチマイもニマイもうわての自由人たち。


「いっしょにご飯食べよか」と、しょっちゅう誘ってくれた料理上手でミュージシャンのNさん。
「これ、八百屋の前に捨ててあったレタスの外側のはっぱ。
もらっていいですか?って聞いたら、どうぞどうぞっていっぱいもらえちゃった♪」

「………でもウマイ〜!!」

「これ、田舎から持って帰って来た ゆでピーナッツ。美味しいんだよ」
何してる人かさっぱりわからんお兄さんタイプのAさん。

「あんたが料理しやすいようにシステムキッチン作ったげたで!」と、
板とクサリとネジで折りたたみ式調理台を作ってくれた、現夫、登。

結構、毎日誰かが何か作って、なんとなく食べられたりしちゃうのだ。

それと夜遅くに愉快な隣人が帰って来る。

LUSH LIFEのTちゃんとCさん。玄関ひとまたぎで部屋に行けたりなんかして、笑い話に花咲きまくり。
(↑※注 10月にアブドゥラー・イブラヒム[Dollar Brand ]ピアノSOLOコンサートを企画されています。)


それ以外にも、定時制に通ってる高校生のYくんや、変わったアメリカ人、ギター弾きのKくん、
うちの掲示板にも来てくれたNくんやIくんなどなど。
しょっちゅうどこかの部屋に行って、たあいもない話をつまみにお酒を飲んでいた。
いろんな個性豊かな住人と、そのつれあいたちに、思いっきり癒された自分がいた。


よくもまぁこれだけお金の無さそうな人が集まったもんだ、ってな下宿だった。
だけど、時間の流れがとても緩やかで、優しかった。


また、大家さんがいいおばちゃんで、実家から送ってきた魚介類と大家さんの作った野菜とをよく物々交換してもらった。
(いつでもどこでもやっている。)

田舎だったので、初夏には蛙の大合唱を子守唄に眠った。
中庭で夕涼みをした。
しょっちゅう散歩に出かけた。川にはよく芹を摘みに行った。
七輪を買って、魚を焼いた。
コンロ式の石油ストーブを拾えたので、それでよく煮物をした。

なにかタイムスリップしたような気分になった。


夫の策略だったのかどーなのかはわからないが、
あの下宿生活で自分の価値観が180°くらい変わった。

「貧乏も楽しいもんだな」



そういういきさつがあって、なんだか音楽を辞めてちゃんと就職して欲しいというような事は言えなくなってしまった。
この人から強靭な精神力を学ばねば…とか思っちゃったのだ。



その後、結局私はというと、また同じような仕事を探しだして再就職したのだったが、
その下宿には2年くらい住んだかな。
ブラブラしてたあの11ヵ月は私にとって挫折と命の洗濯を経験したし、
今の貧乏生活に耐えられるようになったんだ、ってなお話しでした。


ちっともうらやましくないオノロケでんな。


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