きよみのページ9


お産の話をしましょう。
待ちに待った 陣痛が来たのは、夜10時頃。取り急ぎ助産院に連絡。
「今、陣痛がはじまったのであれば、多分産まれるのは翌朝でしょうから 朝まで待って
それからいらっしゃい。」たしか その日は どこぞで夫はライブの日でした。早く帰って来て!
と祈る気持で夫の帰りを待っていたように思います。
夜というか朝というか1時ごろ夫は帰宅しました。
「始まったみたい。」
「明日 早そうやし寝るわ。」
そう言って寝息を立て始めた夫を少々うらめしく思いながら陣痛の言い様もない痛みを
耐えていました。背中からおなかにかけての鈍痛、思わずちからが入るようなかんじだったかなぁ。
暫くするとおさまり また始まります。

草木も眠るウシミツドキ、しんしんと冷え込む2月のことでした。

静かに静かに長い夜、ああもうすぐ開放される、そういえば長かったなぁ...と
妊婦生活を振り返りながら過ごしたものです。なにしろ臨月に入ってからはおなかの子が
胃を圧迫していたのか、食べた後の胃もたれがひどくて ひどくて、背中の痛みも辛かったし
早く出してしまいたい。と ずーっと思っていたのです。


空も白みかけた朝7時、陣痛の間隔も狭まり そろそろ産院に向かおうと電話をいれました。
「お産は体力がいりますから しっかり朝ご飯食べてからいらっしゃい。」

まじめな私は食べたくもないのにパンを焼きはじめミルクをあたため食べはじめました。
ひとくちかじった直後、ザーッツ?????
生暖かい何かが足をつたい"お産マニアル"片手にトイレにかけこみました。
どうやら破水というものらしい。
『破水したらすぐ産院に行きなさい』そう書いてあり、慌てて夫を起こしました。
普段寝起きの悪い夫もこのときばかりは飛び起きてくれ タクシーの手配。
とにかく着のみ着のまま 腰にタオルぐるぐる巻きにして 用意してあったお産グッズ
ひとまとめにしたバックを持ってタクシーに乗り込みました。

「う、ま、れ、る、.....(冷汗)」
産院にいくタイミングが遅かったのでしょう。タクシーの中で錯乱状態。
運チャンも慌ててすっとばしてくれました。

「あらあら、子宮口全開してるわ。」
さして慌てる様子もなく産婆さんが分娩室にうながしてくれ、「さぁさぁ もうひとがんばり。」
この産婆さん 京都では有名な助産婦さんで、いままで8千人ちかくの赤ちゃんを取り上げたことのある
80過ぎのおばぁちゃん。
「さぁ、来い。ひーひーふぅ、ひーひーふぅ。」
「今は 力入れたらあかんで、は、は、は、は、は、は。」
呼吸法を説明してくれながらの進め方です。最後のほうは訳がわからなくなったのですが、
夫が耳もとで 反復してくれて なんとか 産婆さんの指示を聞き逃すこと無く
スムーズに事が運びました。
「いきんで!」と言われれば ぐうっとふんばり「ちからぬいて!」と言われれば 呼吸を調節して
いきまないようにコントロールします。
夫によれば その誘導はみごとだったといいます。
さすが 長年の経験のなせるわざ。会陰切開なしで自然分娩させてくれるという数すくない助産婦さん
であればこそ.....


一番大きな頭が出たあとは もう ずるずるというかんじで身体が出て来ました。

おぎゃ、おぎゃ、おぎゃ、
全身の力が抜けた瞬間でした。ほっとする、という言葉がまさにピッタリ。
「おちんちん ついてるで」と 夫が言ったように思います。無事 男子出産。
へその尾を付けたままの子を抱かせてくれました。

(な、な、なんじゃこりゃ??)
お世辞にも可愛いとは言えない、TVで見た宇宙人のように頭でっかち。

でもとにかくやったー!終ったー!今日はぐっすり寝るぞー!
家族が一人増えた喜びを 夫とふたりで味わいました。なぁんか ほんわかしてましたね。

産院に着いてから約3時間のスピード出産。安産の太鼓判を押されました。


私は立ち会い分娩を奨めています。なぜなら あのほんわかした空気を
ずうっと忘れないでいるからです。
その瞬間を夫と共有するということは、のちの人生に大きな意味を持つようにさえ思えます。
同じ記憶として残るということ、それはこころの財産ってかんじかな。


出産が終れば開放されるどころか実質的な子育てがはじまります。
これがまた、出産以上に大変なんですよねぇ。
(苦笑)


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